舘プロ 次の仕事が楽しみです

1975年バイクチーム「クールス」から選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉(五大洋光)作曲)でデビューそして1983年、自から志願して石原プロモーションに入社し『西部警察PAT-3』の最終回まで出演していた。『西部警察』に出演して学んだことは「共演することで石原裕次郎 渡哲也という2人の映画スタ-を先生にもてたことで受けた影響は強い」と語っている。人生の転機と話す渡哲也を敬愛するようになった切っ掛けとして、「それまで会った東映の先輩俳優に挨拶しても『おうおう、頑張れや』とたばこを吸いながら返されたり、すごく軽んじられた。ところが、渡さんは自分を見っけてパッと立って『舘くんですね、渡です』と言って握手してくれた。そんな俳優、それまで一人もいなかったと語る。舘プロ(tachpro.jp)を立ち上げ次の仕事を伺っている。